更新ペースを週二回にしようと心がけているつもりなのですが、どうにもうまくサイクルがつくれません。
週末は花粉症に悶えておりました。
読者の皆様も、花粉症には充分お気をつけください。
さて、今回は、芥川龍之介の短編です。
更新ペースを週二回にしようと心がけているつもりなのですが、どうにもうまくサイクルがつくれません。
週末は花粉症に悶えておりました。
読者の皆様も、花粉症には充分お気をつけください。
さて、今回は、芥川龍之介の短編です。
最後の更新から一週間も間があいてしまいました。
先月のトランプ氏とゼレンスキー氏の会談のインパクトにやられ、この一週間は改めて、ウクライナのことを調べていました。
一日でもはやい、終結を望んでいますが、半端なものではなく、懸命な判断によって、終結してほしいものです。
さて、今回のお話は、そんな私の思いとは裏腹に、物騒な物語を扱っていきたいと思います。
今回は、
実験的に書き方を変えてみようと思います。
いつもは大学のレポートのように、びっしりと文字を敷き詰めていましたが、
もしや読者の皆さんにとっては重たいのではと思い、趣向を変えてみようと思います。
もちろん、解剖も今後も続けていきます。
最後までお楽しみいただけると幸いです。
ほんらい、私のブログは小説を紹介したり、解剖、つまり評論を綴る場所であり、政治的な主張を述べる場ではありませんし、したいとも特に思ってもいませんでした。
しかし、こんにちの会談のニュースを、テレビやインターネットで散見する中で、どうしても書き記しておきたくなったのです!
まず、ロシアの侵略行為は絶対に許してはなりません。これは皆が感じていることでしょう。
また戦争も許してもいけない、これも一致の意見だと思います。
だからといってウクライナに不利益な停戦を受け入れさせることについては反対です。
ゼレンスキー氏の言う通り、ロシアの要求を飲めば、領土を手にするばかりか中国を勇気づけることになります。
アメリカが、世界が、侵略行為を容認下も同然なのではないでしょうか。
そして一度侵略を良しとすれば、日本だってその危機に見舞われる危険性は充分にあります。
しかも中国とロシア双方から狙われている危険性を秘めているのです。
此度のニュースについて、私は他の人々と同様、誰が良かった悪かったと、少なからず、非難する目で見ていました。
ですが平和を望む一人の市民として、誰かを非難するだけでは、事態は好転しないのだろうということに次第に気づきはじめました。
評論家よろしくの姿勢で攻撃するのではなく、侵略を許さない、強固な姿勢と、平和への近道を一人の市民として模索する姿勢が重要です。
問題に対し、誰かを断罪することは簡単です。
一方、問題に対し顔を突っ込み、答えどころかヒントを探し当てることは、忍耐と理性を強いられます。
ですが、平和を風化させないためには、世界の住民の総意を正しく伝えるためには、そのどちらもがこれまで以上に必要な時代に突入したのではないでしょうか。
長かった寒波も去り、心地よい太陽の日差し浴びれるようになりましたね。
私などは年甲斐もなく、仕事終わりにスマホを取り出し、モンスターハンターNOWという、ポケモンGOのようなゲームをやっているわけですが、春の到来にホッとするような気持ちで楽しんでいます。
閑話休題。今回は、恐れ多くも、国語の教科書にも掲載されている「山月記」を解剖していきたいと思います。最後まで楽しんで頂けると幸いです。
できるだけ分かりやすく書いたつもりなので、楽しんで頂けると幸いです。
あらすじ
唐の時代、隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は、若くして難関の試験を突破する秀才でしたが、他人には心を開かず、身分の低い役人でいることに我慢なりませんでした。そこで彼は山に籠り、詩作で成り上がろうとしたのです。
ところが生活は窮困するばかりで、詩の道にも絶望し、焦った李徴は、再び役人に戻ったのですが、同期の者は彼よりも高官となっており、彼らの元で働かなねばならぬことが更に彼を傷つけました。そしてある時は発狂し、行方をくらましてしまいます。
その翌年、陳郡(ちんぐん)の袁傪(えんさん)という役人は、夜中に人喰い虎に出くわしました。が、その虎の声は、なんと袁傪の友である李徴のものだったのです。実は李徴は自身でも分からぬうちに虎になってしまい、人間の心と虎の心とを行き来しているのだといいます。しかし、徐々に人間でいられる時間も少なくなってきている様子。このままでは身も心も虎となってしまい、人間ではなくなってしまうのだというのです。李徴はそうした運命を受け入れており、友人である袁傪に、人間として、最後の頼みを述べるのでした。それは自身が詠んだ詩を袁傪に託し、後世に伝えたいというものです。ですが、袁傪はそれらの詩に非凡さを感じながらも、第一流の作品には欠けるものを感じていました。
詩を詠み終えると、李徴は自身の人間だった頃を振り返りはじめます。人間だった頃の彼は、人との交流を避け、高慢な態度をとっていました。また、そうかと思えば、進んで先生に教えを請うこともせず、詩の友達をつくり切磋琢磨することもありませんでした。それらを彼自身、「臆病な自尊心と寛大な羞恥心」だと断じ、自身の才能を喰い潰し、それらを飼い太らせてしまったが故に、虎になってしまったのだというのです。
李徴は自身について話し終えると、最早虎となるばかりの身となった自身と別れる時が来たと言い、袁傪が丘の上に着いた頃、きた道を振り返ると、遠くの叢から一匹の虎が月を仰いで二、三度吠えて、叢の中へと消えていったのでした。
先日、ピース又吉さんの、「走れメロス」の解説を視聴したのですが、どうも腑に落ちませんでした。
この企画はYouTubeでアップされており、太宰治の名著である「走れメロス」を分析し、面白おかしく解説しようという企画でした。
又吉さん曰く、メロスは直情的で無鉄砲。そして自己評価の高い、自意識過剰の人物として取り上げられていました。
ですが私はこの解説を聞いて笑わなかったわけではありませんが、物語の核心に触れ損ねているような気がしてなりませんでした。
そこで今回は、私自身のメロスを論じることによって、私が感じる違和感を整理していこうと思います。
社会人のための読書
仕事の帰りが特別遅いというわけではありませんが、読書ペースが落ちてきてしまいました。テレビやYouTubeなどは心身ともに疲れていても、受動的に情報がはいってくるのですが、小説となるとどうでしょう。能動的に文章を整理し、物語を自身の頭脳でつくりあげていかなければなりません。ですが、読了したあとは、達成感と共に、その世界の余韻に長く浸ることができると思うのは私だけではありません。
そうは言うものの、社会人ともなると、読書の時間を設けるのも一苦労ですし、ご家庭を持っている方だと尚更なことでしょう。
そこで、数年「青空文庫」の作品を扱って評論をした私が、短い時間でも読める作品をピックアップしていこうと思います。今回は、「菊池寛」作品をいくつか紹介していきます。
菊池寛の世界
もともと夏目漱石や芥川龍之介と同じ時代の作家ですが、漱石にその才を認められず、弟子になることは叶いませんでした。芸術思考の漱石とは対照的に、大衆的でストーリー性の強さが菊池の作風だと言えます。
一方で芥川は菊池を慕っていたようで、菊池も彼の才能は高く評価していたようで、金銭的な援助もおこなっていました。また文藝春秋を創刊者であり、記者たちに自宅のご飯を振る舞っていたのだとか。そうした彼の人情味あふれる人柄は作風にも反映されており、どこか人の暖かさや義理堅さを感じるものが多いのも特徴です。
青空文庫読者が選んだ、菊池寛作品
・恩讐の彼方に
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