2025年3月18日火曜日

「芋粥」‐芥川龍之介を解剖

 更新ペースを週二回にしようと心がけているつもりなのですが、どうにもうまくサイクルがつくれません。

週末は花粉症に悶えておりました。

読者の皆様も、花粉症には充分お気をつけください。

さて、今回は、芥川龍之介の短編です。




あらすじ


平安朝の頃、平凡でだらしがない風貌の五位(昇殿を許される者の中で最も低い位)がいました。周囲にはハエほどの注意も払われず、他の者からいじめられていました。

ですが五位もそうした周りの扱いに反発することなく、「いけぬのう、お身たちは」と言う
ばかり。そればかりか、彼は犬をいじめる子供に対しても、自身の身分を弁えるかのように、思わず叱責してしまったことを恥ずかしがる始末。

そんな情けない彼にも、身に余る夢ぐらいは持ち合わせている様子。それは、天皇の膳にも載せられていた芋粥を飽きるほどに飲んでみたい、というものでした。

そしてそれは藤原利仁(ふじわらのとしのり)の気まぐれによって、なんとあっさりと叶ってしまうのです。五位の頭はたちまち芋粥にって支配されてしまいました。そうして、五位は利仁の館に招待された訳ですが、次第にその心には、釣り合いのとれない不安が浮かび上がってきました。ひとつは無論、芋粥を早く食べたいという気持ちだったのですが、今ひとつは、「そう早く、来てはならない気もち」がするのだそうです。

そして迎えた当日、芋粥を前にした五位は、芋粥を「一椀も吸いたくない」気持ちを抑えて、なんと半分だけ飲み、ほかは残してしまったのでした。そして、残った汁は利仁の命によって、その場に居合わせた狐に与えられることになりました。その光景を見ていた五位は、狐にかつての自分を重ねると友に、粥をこれ以上啜らずに済むことに、胸を撫で下ろしたのでした。


解剖


この作品の問題は、一体何故、あれほど芋粥を欲していた五位が、利仁の屋敷で振る舞われた芋粥を啜りたくないと思ったのか、ということでしょう。

この問題を解くにあたって、今一度、五位の性質と芋粥というものがどのような料理なのかを整理する必要があります。

そもそも五位は、皆からひどい扱いを受けていながらも、それを進んで受け入れている節があります。なにせ、子供のいじめの現場に割って入っていった際も、子供に「何じゃ、この赤鼻めが」と罵声を浴びせられても、憤慨するどころか、止めに入って恥をかいたことそのものを恥ずかしく思ってしまう人物なのです。

そのような人物が、利仁の屋敷では、客人として芋粥を啜ろうとしています。おそらくその心中は、身に余るもてなしを耐え難く思ったことでしょう。

そして芋粥は、高貴な人々の食べ物です。それを腹いっぱい食べようと思うのであれば、自身も高貴な身分になるか、このように客人として扱われなくてはなりません。

こうして整理すると、彼の目的というものは、必要な手段に対しあまりにも不釣り合いだったのです。


ですが、このように不釣り合いな目標を描き、手段という階段を登れないのは、この五位だけなのでしょうか。

自身の身の丈に不釣り合いな女性と一度付き合ってみたいと思う男性は、決して少なくはありません。

そしてその中の一部の男性は、そのために何か努力はするのかと言えば、そのような事はありません。

やり方すら描けないのもそうかもしれませんが、同時に、そうした女性と関係を持つことが何を求められているのかについても理解できないのです。

身だしなみ、会食での振る舞い、デートコースの設計。そうしたマナーやエスコートをスマートに行う事を求められていることすら、分からない人々もいるのです。

そしてそれはこの五位も同じで、彼は客人としてもてなされて、はじめてそれに気が付きました。

ですから彼は、芋粥を前にして、客人として振る舞われる事に耐え難くなり、芋粥への憧れを断念したのです。


2025年3月11日火曜日

「殺し屋」‐ヘミングウェイを解剖

 最後の更新から一週間も間があいてしまいました。


先月のトランプ氏とゼレンスキー氏の会談のインパクトにやられ、この一週間は改めて、ウクライナのことを調べていました。


一日でもはやい、終結を望んでいますが、半端なものではなく、懸命な判断によって、終結してほしいものです。


さて、今回のお話は、そんな私の思いとは裏腹に、物騒な物語を扱っていきたいと思います。




あらすじ



ヘンリーの店に、ある二人組の男がやってきます。男たちはヘンリーの店に初めてやってきた様子で、注文に手間取っている様子。そしてようやく注文を終えたかと思うと、なんと男たちは、その場にいた少年ニックと、コックのサムを縛り上げ、店主のジョージを脅し、彼らの言う通りに対応させます。実はこの二人は殺し屋であり、スウェーデン人のオール・アンダーソンというボクサーが食事に来たところを狙っていたのです。
ところが、時間になってもオールはやって来ず、彼らは無事に開放されたのでした。

そして、すっかり怯えっきたサムとは対照的に、ニックは積極的にこのことはオールに伝えるべきだと言い、オールのもとを訪れ、その顛末を話します。
しかし、オールは、自身の状況をすでに理解している様子で、その件に対し、「できることは何もない。」、「外に出る決心がつかないんだ」と言うのです。

オールのもとを去ったニックは、ジョージに彼の事を伝え、そこで何が起きるのかが、恐ろしくなっていったのでした。


解剖


この短編は主に、ヘンリーの店の出来事と、オールの部屋での出来事の二つの場面で構成されています。
最初の場面は、殺し屋が待ち構えている場面なのに対し、次の場面はオールに報告するという、どちらも物語としては能動的な場面ではありません。
ですが、それなのに、作品全体としては、一定の緊張感を保ったまま、物語を終えています。

それはニックの、「あの部屋でずっと待ってることとか、自分がどうなるか知っていることとか。あんまり恐ろしすぎる」という台詞が、この緊張感の正体を物語ってくれています。



私達にはどうしても、二つ以上の関連性が高い場面をつなぎ合わせ、現実がどのようになっていくのかを予想してしまいます。例えば、学校のマドンナに憧れている男子学生がいるものの、マドンナは既に別の誰かと交際していることをしると、男子学生のがっかりした顔というものは容易に浮かび上がるでしょう。


この作品も動揺に、異なる二つの場面を描くことによって、オールという人物が今後どのようになっていくのかを、ニックを通して私達に想像させているのが、直接描くこと以上に、よりこの作品の不安と緊張感を煽っているのです。


今回扱った作品の短編集はこちらから、購入できます。

2025年3月4日火曜日

「骨を喰む真珠」-北沢陶を読んで(感想)

 今回は、


実験的に書き方を変えてみようと思います。


いつもは大学のレポートのように、びっしりと文字を敷き詰めていましたが、


もしや読者の皆さんにとっては重たいのではと思い、趣向を変えてみようと思います。


もちろん、解剖も今後も続けていきます。


最後までお楽しみいただけると幸いです。




1あらすじ

時は大正時代。病弱だが男勝りの女性記者である荒波苑子(あらなみそのこ)は、身の上相談

欄という記事を担当していましたが、そこに奇妙な投書が届きました。


私は溺れております
青い家の中で朽ちていきます
いずれ
私は

投書は2通、3通と続き、ただ事ではないことを察した「苑子」は、その調査に乗り出します。

そして手紙の主である、丹邨製薬の社長令息に接触すべく、苑子は丹邨家に絵の教師として、「化け込み」(潜入捜査)を開始します。

そして苑子は、若さを保ち続けている社長夫人、社長のもう一人の子どもである礼以、威圧感のある秘書の白潟(しらかた)といった個性的な面々と過ごすうちに、やがて丹邨の、製薬会社の秘密に迫っていくのです。


2良かった点


※※ここからネタバレ注意※※





まずは化け込みの緊張感でしょう。「礼以」が本性を表してからは、ステルスゲームやホラーゲームで悪霊から逃げ回るような緊張感があります。


彼女に見つからぬように「苑子」は真実を探っていくのですが、「え!?そんなことして大丈夫なの?」と思う描写がいくつか登場します。

その中でも、私が個人的に印象に残っている場面は、「苑子」が薬を渡すシーンです。苑子は持病の咳に依然から悩まされていたのですが、「礼以」にある薬を渡されます。

しかし、この薬を一度飲んだら最後、効果は覿面に表れるものの、時間が経つと依然より比べ物にならない苦痛に襲われてしまいます。

そして「苑子」は、その薬をなんと飲んだふりをして、外部の機関へ分析に回してしまうのです。

当然薬を飲んでないことは翌日「礼以」にバレてしまう訳ですが、残虐な彼女が「苑子」をどのように扱うのか、目が離せませんでした。



3少し気になった点


細かい点を述べるのであれば、これはXにも書き込みましたが、女性の、「わて」という関西弁が気になりました。

私が関西に住んでいるからなのかもしれませんが、どうにも馴染みませんでした。



そして後半の展開については、ある程度の安心感を持って読めてしまいました。

単身で乗り込んでいた「苑子」がどうなったのか、さらりと述べるのではなく、匂わせるような趣向があれば、その後の展開の緊張感は維持できたのかなと思いました。
というのも、後半は主人公が交代し、その人物が事件の真相を暴くといった構図になっています。
更に後半は複数人での行動が目立ち、これが読者に安心感を持たせる要因になってしまっていたのではと思います。


4総評

前半の緊張感が後半にもあればいいのに、と思いました。主人公を複数立てるのは悪くありませんが、複数人での行動は、主人公サイドに分があり過ぎるような印象があります。

とは言え、作品全体としては、カタルシスを得られる構図にはなっているので、読後感は悪いものではありません。


2025年3月1日土曜日

ゼレンスキー氏とトランプ氏の会談について想うこと

 ほんらい、私のブログは小説を紹介したり、解剖、つまり評論を綴る場所であり、政治的な主張を述べる場ではありませんし、したいとも特に思ってもいませんでした。

しかし、こんにちの会談のニュースを、テレビやインターネットで散見する中で、どうしても書き記しておきたくなったのです!


まず、ロシアの侵略行為は絶対に許してはなりません。これは皆が感じていることでしょう。

また戦争も許してもいけない、これも一致の意見だと思います。

だからといってウクライナに不利益な停戦を受け入れさせることについては反対です。

ゼレンスキー氏の言う通り、ロシアの要求を飲めば、領土を手にするばかりか中国を勇気づけることになります。

アメリカが、世界が、侵略行為を容認下も同然なのではないでしょうか。

そして一度侵略を良しとすれば、日本だってその危機に見舞われる危険性は充分にあります。

しかも中国とロシア双方から狙われている危険性を秘めているのです。


此度のニュースについて、私は他の人々と同様、誰が良かった悪かったと、少なからず、非難する目で見ていました。

ですが平和を望む一人の市民として、誰かを非難するだけでは、事態は好転しないのだろうということに次第に気づきはじめました。

評論家よろしくの姿勢で攻撃するのではなく、侵略を許さない、強固な姿勢と、平和への近道を一人の市民として模索する姿勢が重要です。


問題に対し、誰かを断罪することは簡単です。

一方、問題に対し顔を突っ込み、答えどころかヒントを探し当てることは、忍耐と理性を強いられます。

ですが、平和を風化させないためには、世界の住民の総意を正しく伝えるためには、そのどちらもがこれまで以上に必要な時代に突入したのではないでしょうか。

2025年2月27日木曜日

「山月記」‐中島敦を解剖

長かった寒波も去り、心地よい太陽の日差し浴びれるようになりましたね。

私などは年甲斐もなく、仕事終わりにスマホを取り出し、モンスターハンターNOWという、ポケモンGOのようなゲームをやっているわけですが、春の到来にホッとするような気持ちで楽しんでいます。


閑話休題。今回は、恐れ多くも、国語の教科書にも掲載されている「山月記」を解剖していきたいと思います。最後まで楽しんで頂けると幸いです。


できるだけ分かりやすく書いたつもりなので、楽しんで頂けると幸いです。





あらすじ


唐の時代、隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は、若くして難関の試験を突破する秀才でしたが、他人には心を開かず、身分の低い役人でいることに我慢なりませんでした。そこで彼は山に籠り、詩作で成り上がろうとしたのです。


ところが生活は窮困するばかりで、詩の道にも絶望し、焦った李徴は、再び役人に戻ったのですが、同期の者は彼よりも高官となっており、彼らの元で働かなねばならぬことが更に彼を傷つけました。そしてある時は発狂し、行方をくらましてしまいます。


その翌年、陳郡(ちんぐん)の袁傪(えんさん)という役人は、夜中に人喰い虎に出くわしました。が、その虎の声は、なんと袁傪の友である李徴のものだったのです。実は李徴は自身でも分からぬうちに虎になってしまい、人間の心と虎の心とを行き来しているのだといいます。しかし、徐々に人間でいられる時間も少なくなってきている様子。このままでは身も心も虎となってしまい、人間ではなくなってしまうのだというのです。李徴はそうした運命を受け入れており、友人である袁傪に、人間として、最後の頼みを述べるのでした。それは自身が詠んだ詩を袁傪に託し、後世に伝えたいというものです。ですが、袁傪はそれらの詩に非凡さを感じながらも、第一流の作品には欠けるものを感じていました。


詩を詠み終えると、李徴は自身の人間だった頃を振り返りはじめます。人間だった頃の彼は、人との交流を避け、高慢な態度をとっていました。また、そうかと思えば、進んで先生に教えを請うこともせず、詩の友達をつくり切磋琢磨することもありませんでした。それらを彼自身、「臆病な自尊心と寛大な羞恥心」だと断じ、自身の才能を喰い潰し、それらを飼い太らせてしまったが故に、虎になってしまったのだというのです。

李徴は自身について話し終えると、最早虎となるばかりの身となった自身と別れる時が来たと言い、袁傪が丘の上に着いた頃、きた道を振り返ると、遠くの叢から一匹の虎が月を仰いで二、三度吠えて、叢の中へと消えていったのでした。



解剖



この作品において最大の疑問は、「李徴はなぜ虎になったのか」ということでしょう。彼自身はこれを自身の、「臆病な自尊心と寛大な羞恥心」にあると分析しています。より具体的には、

自身の故郷で、鬼才と持て囃されていた自身に芽生えた自尊心を他者に傷つけられるのではないかという臆病な性質。

また、自慢の詩も、先生や友に批判されるのではないか。そして同僚からの指摘からの辱めにあうのではないかといった、尊大な羞恥心。

などといったものでしょう。それらを抱え、太らせていくうちに虎になったのだと考えている訳です。


ところで、虎になるとまではいかずとも、こうした失敗によって、孤立感を感じ、世間と隔たれるといった事は、私達の身の上にもあるのではないでしょうか。
かく言う私も、李徴のような心情に身に覚えがないわけではありません。私にとって文章がそれにあたります。小学校の頃、苛められっ子であった私は、国語の先生に読書感想文を褒められたことをきっかけに、文章に興味を持ちはじめました。
しかし、そこから何か行動したのか言えば、文章の練習も禄にせず、自身の行動や失敗を友達に誂われるばかりの毎日を過ごしてるだけでした。そしてその心中では、「ぼくはこいつ等とは違う。文才に秀でているのだ」と、しがみついていたのでした。寛大な羞恥心は定かではありませんが、自尊心は充分持ち合わせていました。
こうして私は、学校生活を他の生徒と一緒に過ごしながらも、心のどこかは孤独で、自身をさらけ出すことについてはこと臆病になっていました。

そうして、自身の思い込みが間違っていたのだと気づいたのは、大学での研究発表のときでした。当時研究のリーダーを務めていた先輩から、「こんな文章では世の中に出ることは叶わない。本気でやる気があるのであれば、勉強しなければならない」と言われたことがきっかけです。実力も実績も自分なんかよりも遥かに勝っている先輩に指摘されて、すっかり私は反論する気どころか、心のなかで平伏するしかありませんでした。

結論


私の恥の話はこのぐらいとして、物語に話を戻すと、虎という表現は単なる比喩であり、現実の私達の中にも、こうした自尊心、羞恥心を抱えているばかりに、人と隔たって生きいる人々は少なくないのではないでしょうか。
ですが、いつまでの隔たりを感じながら生きなければならないのかと言えば、そうではありません。李徴が振り返っているように、自身の弱さに気づき、さっさと受け入れてしまえば良いのです。それが難しいという批判もあるでしょうが、だからこそ、人の中で揉まれなければならないのでしょう。


もし私の文章を読んで、踏みとどまっている方がいるのであれば、李徴のように、虎にならぬ前に、勇気の一歩を踏み出してはいかがでしょうか。私のその道の半ばです。

楽天で山月記の購入はこちらから出来ます。

2025年2月21日金曜日

ピース又吉さんの「走れメロス」を視聴して

先日、ピース又吉さんの、「走れメロス」の解説を視聴したのですが、どうも腑に落ちませんでした。



この企画はYouTubeでアップされており、太宰治の名著である「走れメロス」を分析し、面白おかしく解説しようという企画でした。

又吉さん曰く、メロスは直情的で無鉄砲。そして自己評価の高い、自意識過剰の人物として取り上げられていました。

ですが私はこの解説を聞いて笑わなかったわけではありませんが、物語の核心に触れ損ねているような気がしてなりませんでした。

そこで今回は、私自身のメロスを論じることによって、私が感じる違和感を整理していこうと思います。



2025年2月13日木曜日

社会人のための読書①菊池寛

社会人のための読書 

仕事の帰りが特別遅いというわけではありませんが、読書ペースが落ちてきてしまいました。テレビやYouTubeなどは心身ともに疲れていても、受動的に情報がはいってくるのですが、小説となるとどうでしょう。能動的に文章を整理し、物語を自身の頭脳でつくりあげていかなければなりません。ですが、読了したあとは、達成感と共に、その世界の余韻に長く浸ることができると思うのは私だけではありません。


そうは言うものの、社会人ともなると、読書の時間を設けるのも一苦労ですし、ご家庭を持っている方だと尚更なことでしょう。

そこで、数年「青空文庫」の作品を扱って評論をした私が、短い時間でも読める作品をピックアップしていこうと思います。今回は、「菊池寛」作品をいくつか紹介していきます。


菊池寛の世界

もともと夏目漱石や芥川龍之介と同じ時代の作家ですが、漱石にその才を認められず、弟子になることは叶いませんでした。芸術思考の漱石とは対照的に、大衆的でストーリー性の強さが菊池の作風だと言えます。

一方で芥川は菊池を慕っていたようで、菊池も彼の才能は高く評価していたようで、金銭的な援助もおこなっていました。また文藝春秋を創刊者であり、記者たちに自宅のご飯を振る舞っていたのだとか。そうした彼の人情味あふれる人柄は作風にも反映されており、どこか人の暖かさや義理堅さを感じるものが多いのも特徴です。


青空文庫読者が選んだ、菊池寛作品

・恩讐の彼方に

自身の保身の為に、主人を切り捨ててしまった主人公、「市九郎」は、妾とともに逃げおおせ、悪逆を重ねます。しかし、妾の浅ましさに次第に嫌気がさし、真言の寺へ得度しました。修行の中で、自身のそれまでの非道を悔いはじめ、償い方を模索していくのです。
どこまでいっても主観的だった主人公が、償う道を模索する中で、自身の目的を見つける、成長譚になっています。30分もあれば読める文章量ですが、読後感はそれ以上のものだと思います。特に、「誰の為」、「何のため」といった目的を失いかけている方がいらっしゃいましたら、それを打開するヒントになり得るかもしれません。

・大島が出来る話

「譲吉」は高等商業の予科に在学中、故郷にいる父が破産して退学の危機に直面したことがあります。そんな彼を救ってくれた人物こそ、同窓の友人の父、「近藤氏」だったのです。以来、彼は「近藤夫人」の手から学資を頂いていました。そして、学校を卒業して社会人になっても彼と彼女の関係は変わることはなく、譲吉は何かあると近藤夫人を頼り、彼女は彼女で彼の欲しがるものを与えていました。ですが、そんな彼でもたったひとつだけ手に入らないものがありました。それが「大島絣の揃い」でした。彼は大島を買いたいとは思いつつも金銭の問題から購入には至らず、それを買う機会を次第に失っていきます。
そんなある時、譲吉は電報でお世話になっていた近藤夫人が突然亡くなったことを知ることになります。これまで彼の生活を影で支えていた人物の死を聞いて、譲吉の心には大きな穴が開いてしまいます。
そうして途方に暮れていた譲吉は、近藤の家からあるものを受け取ります。これが譲吉の心に新たな影をつくることになってしまうのです。

人の義理や人情に主眼をおいた菊池作品

この他にも、魅力的な菊池作品は多く存在します。ときに熱く、ときにユーモアや皮肉に溢れた菊池作品の世界を覗いてはみませんか?

「芋粥」‐芥川龍之介を解剖

 更新ペースを週二回にしようと心がけているつもりなのですが、どうにもうまくサイクルがつくれません。 週末は花粉症に悶えておりました。 読者の皆様も、花粉症には充分お気をつけください。 さて、今回は、芥川龍之介の短編です。 あらすじ 平安朝の頃、平凡でだらしがない風貌の五位(昇殿を...