2025年2月6日木曜日

「高熱隧道」-吉村昭著を読んで 

昨今、SNSやテレビではフジテレビの問題が取り上げられています。テレビの業界とは一見して、華やかで非日常的な世界に思われますが、その内情はどうやら私達が想像した以上に常軌を逸した現状があったようです。今回扱っている、「高熱隧道」も、岩盤摂氏が100℃を超える世界で、掘鑿するという常軌を逸した現場です。そうした世界では常軌を逸しているだけに、現場の者は、事態に愚鈍にならざるを得ず諦める事に慣れ、また監督者は演技や演出を求められていました。しかし、あるボタンのかけ違いによって、問題が表面化してしまったのです。件の問題も、そうしたかけ違い、それも人道を踏み外した大きなかけ違いによって表面化した産物なのではないかと思えてなりません。そんなことを考えつつ、論じてみました。




 昭和11年に着工した、黒部第三発電所の建設は、人間の侵入を拒み続けた峡谷に、隧道を掘鑿する難工事でした。技師である「藤平」は、隧道貫通の為、人夫たちを酷使し続けました。岩盤温度が上昇し、作業不能な者が出ようとも、その温度によってダイナマイトが爆破し死者が出ようとも、工事は中止の目処が立ちません。その様は、掘鑿が進むにつれて、自然の脅威が屍の山を積み上げていくようでした。ところが人夫の方でも、怯えたり、動揺したりするものの、高い工賃を得る為に山を降りることはありません。

しかし、工事もいよいよというところで再び事件が起こります。人夫の宿舎が雪崩に襲われ、同時に火災も起こってしまい、28名の新たな犠牲者が出てしまいました。「藤平」達にとっては、幸いとも言うべきか事後処理は思いの外円滑に行われましたが、また新たな事件が起こりました。なんと、雪解けの時期になり、雪崩に巻き込まれたと思われる中年の穿孔夫の遺体が新たに見つかったのです。しかし、遺族の引き取りも終わり、事態が収束しかかっている今、新たな混乱を恐れた今、「藤平」達は宿舎から離れた場所に密かに埋葬することしました。ここから、「藤平」と人夫との関係には確執が生じ、命の危機を感じることになったのです。


ここまで整理してみると、人夫は何故、今更、「藤平」達に怨恨を抱きはじめたのでしょうか。そもそも彼らは、命をかけなければいけない程の難易度の高い隧道の掘鑿をする代わりに、高い工賃が支払われていました。つまり、金銭が命の代価という訳です。そしてこうした不条理な関係は、彼らの感覚をも鈍らせていました。彼らは仲間の死が何故起こったのかという点に対しては怠惰であり、詮索しようとはしません。更に、身近にある死は、彼らから思考を奪うばかりでなく、死に対しる諦めを抱かせているようでした。

一方、「藤平」ら技師達は、彼らを監督し作業を円滑に進めることで金銭が支払われています。金銭の原理が全く違うのです。ですが平時は、ダイナマイトで爆破した人夫達の屍を担いだり、彼らに寄り添うといった演技によって、人夫と技師とは一蓮托生の関係であるかのような演出で誤魔化していました。その心中の大体は打算であり、人夫の命は二の次だったようです。

しかし、そうした彼らの関係にも歪みが生じてしまいます。それが雪解けの時期に出てきた遺体の問題です。「藤平」らからすれば、遺体は事態を悪化させかねない厄介な躯にすぎませんが、人夫らにとっては違います。彼らにとっては遺体となった今でも苦楽を共にした同朋です。無論、「藤平」らも弁えていたでしょうが、演技をすることは、彼らの立場を危うくしてしまいます。これまでは、「藤平」らの演出は、現実を良い状態へと運ぶ改善策として用いられていましたが、今回は一致しないどころか悪化してしまう可能性があるのです。

こうして、「藤平」らの演出は、自らの決断によって露呈してしまった訳ですが、こうなると人夫達の気持はどうなるでしょう。これまで技師たちに寄せていた技師たちへの信頼が高ければ高い程に、鈍化した感覚を呼び起こすだけではなく、強い怨恨へと変わってしまったのでしょう。そうして彼らは自らが築き上げてきた信頼という山の頂きから恐怖を感じ、完工と同時に一足はやく山を降りなければならなくなってしまったのです。

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