話題の安堂ホセさんの「デートピア」を読ませて頂きました。できるだけネタバレは避けつつ、感想を述べていきたいと思います。
前半は帯にもある通りの恋愛リアリティ・ショーが太平洋の楽園で展開されます。と言っても、本当に序盤だけです。古今東西から集まった美男がミス・ユニバースの心をいかに掴むのか、と思えば、話は途端に、その中の一人、「Mr.東京」の過去へと移っていくのです。
ここで多くの読者は、遊園地に来たつもりがいきなり心霊スポットに連れてこられた、或いは日常系の映画を観ていたつもりがサスペンスを観せられていた感覚に陥ったのではないでしょうか。
そして語り手は、主人公の過去をよく知っている「モモ」という人物だということが、この前後で明かされます。なんと「モモ」は過去に「Mr.東京」こと「汽水」に、中学時代、お互いの同意(?)を経て睾丸の片側を摘出されていた過去を持っていました。当然彼の父親は激昂し、2人を激しく非難します。
ところが彼らの反論がなんとも面白い。「モモ」は、一般的な父親が自負している愛情や義務といった視線を「暴力」と糾弾し、「汽水」に至っては、何もせずただ見守っていただけだと主張する父親に対し、「モモ」から睾丸を摘出するという選択肢を奪ったではないか、と反論するのです。
身近な例えをすると、男性が女性に向ける淫らな視線。親が子に優秀であって欲しい。そこまではいかずとも、朗らか、健康であって欲しいといった願い。そうしたものが当人達の精神を蝕みはじめると、それは立派な「暴力」として成立するのではないでしょうか。
そうした「暴力」を避ける、或いは逃れる為、2人は互いの生き方を模索していくことになるのです。
また、物語の末尾でも興味深い議論が展開されます。仔細は書きませんが、こうした願いが「暴力」になり得る所以、みたいなものが描かれているのです。登場人物曰く、人は親の境遇や出産の経緯など、何かを引き継ぐ形で生を受けます。作中ではこれを「仕組まれた」と表現していました。そうして「仕組まれた」命は、その通り生きるように育てられるのですが、他方、「モモ」や「汽水」ように、それに抗う性質も同時に持ち合わせており、それが反発することで「暴力」となるのです。
作品の転調がはじまり、ドライブしていく過程で離脱する方も少なからずいらっしゃるかと思います。しかし、読了した私からすると、それは勿体ないように思います。バイオレンスな側面だけでなく、「モモ」達の側面に立ち、彼らが世界をどのように受け止めるかを感じることで、世界の見方、常識が揺らぐことになるでしょう。



