先日、ピース又吉さんの、「走れメロス」の解説を視聴したのですが、どうも腑に落ちませんでした。
この企画はYouTubeでアップされており、太宰治の名著である「走れメロス」を分析し、面白おかしく解説しようという企画でした。
又吉さん曰く、メロスは直情的で無鉄砲。そして自己評価の高い、自意識過剰の人物として取り上げられていました。
ですが私はこの解説を聞いて笑わなかったわけではありませんが、物語の核心に触れ損ねているような気がしてなりませんでした。
そこで今回は、私自身のメロスを論じることによって、私が感じる違和感を整理していこうと思います。
あらすじ
メロスは毅然と振る舞っていましたが、数日のうちに結婚を控えている妹のことを思う、心残りが芽生えてきました。そこでメロスは、自身の代わりに友人であるセリヌンティウスに、自身の身代わりになってもらい、3日のうちに彼が帰ってこなければ、セリヌンティウスが処刑されるという約束を王と交わします。果たしてメロスは3日後、王のもとへ帰って来ることができるでしょうか。
論証
確かに冷静に分析すると、メロスの言動は滑稽で無鉄砲な箇所が目立ちます。
激怒して行動を起こしたまでは良かったのかもしれませんが、あっさりと王様に捕まってしまいますし、セリヌンティウスが自身の命がかかっている緊張の中、妹の結婚式を存分に楽しんでしまうところなど、その気質の欠陥を挙げればキリがありません。
ですが、もしやこれはメロスや王などの人間の心の揺らぎそのものが罪深いものとして描かれている、という視点から物語を整理すればどうでしょうか。
この視点に立った時、まず気になるのが、「かの邪智暴虐の王を除かなければならぬ」という表現です。
本来であれば、より強い言葉が使われていいものなのに、敢えて「除く」と表現したのには何かしらの意図を感じずにはいられません。
つまり私は、実態の王そのものを除くのではなく、「邪智暴虐たる王の心を覗こうとしたのでは?」と、考えたのです。
そうして整理すると、王とメロスの問答も、違った見え方になってくるのではないでしょうか?
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。」

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