2025年2月21日金曜日

ピース又吉さんの「走れメロス」を視聴して

先日、ピース又吉さんの、「走れメロス」の解説を視聴したのですが、どうも腑に落ちませんでした。



この企画はYouTubeでアップされており、太宰治の名著である「走れメロス」を分析し、面白おかしく解説しようという企画でした。

又吉さん曰く、メロスは直情的で無鉄砲。そして自己評価の高い、自意識過剰の人物として取り上げられていました。

ですが私はこの解説を聞いて笑わなかったわけではありませんが、物語の核心に触れ損ねているような気がしてなりませんでした。

そこで今回は、私自身のメロスを論じることによって、私が感じる違和感を整理していこうと思います。



あらすじ


「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かねばならぬと決意」し、王の元へ向かうところであっさりと警史しまいます。王の前に差し出されたメロスは、ことの経緯について素直に話し出しました。自身の身の回りの者を殺し、怯えている市民を、王の手から救うというのです。王はメロスの言葉を嘲笑い、彼を脅しはじめます。
メロスは毅然と振る舞っていましたが、数日のうちに結婚を控えている妹のことを思う、心残りが芽生えてきました。そこでメロスは、自身の代わりに友人であるセリヌンティウスに、自身の身代わりになってもらい、3日のうちに彼が帰ってこなければ、セリヌンティウスが処刑されるという約束を王と交わします。果たしてメロスは3日後、王のもとへ帰って来ることができるでしょうか。




論証


確かに冷静に分析すると、メロスの言動は滑稽で無鉄砲な箇所が目立ちます。

激怒して行動を起こしたまでは良かったのかもしれませんが、あっさりと王様に捕まってしまいますし、セリヌンティウスが自身の命がかかっている緊張の中、妹の結婚式を存分に楽しんでしまうところなど、その気質の欠陥を挙げればキリがありません。


ですが、もしやこれはメロスや王などの人間の心の揺らぎそのものが罪深いものとして描かれている、という視点から物語を整理すればどうでしょうか。



この視点に立った時、まず気になるのが、「かの邪智暴虐の王を除かなければならぬ」という表現です。


本来であれば、より強い言葉が使われていいものなのに、敢えて「除く」と表現したのには何かしらの意図を感じずにはいられません。


つまり私は、実態の王そのものを除くのではなく、「邪智暴虐たる王の心を覗こうとしたのでは?」と、考えたのです。



そうして整理すると、王とメロスの問答も、違った見え方になってくるのではないでしょうか?



「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁はんばくした。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」

「ばかな。」と暴君は、嗄しわがれた声で低く笑った。「とんでもない嘘うそを言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」


メロスと王の話は、王をどうするか、メロスをどうするのかという話から徐々に遠のき、「人間は信じるに値するのか」という、人間の一般論に話は移っていきます。そしてメロスは王に、人間は信じるに値することを身を持って証明しようとしました。

これが「間に合う、間に合わないは問題ではないのだ。人の命の問題ではないのだ。」とフィロストラトスに訴えていたことの内実なのです。※


そうして、メロスは王に自身の仮説を証明し、王の心に打ち勝っていったのです。


ですが、何故メロスは王の心に打ち勝てたのでしょうか。
それは、どうやら物語の終盤、メロスとセリヌンティウスとが殴り合うシーンに隠されているようです。

「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若もし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
 セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯うなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑ほほえみ、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

彼らは、互いを裏切った実態あるものを責めることはありません。王の心と同じように、互いの心の弱さのようなものを覗こうとしたのです。
対する王は、


「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな悪心を持ってはおりませぬ。」
「たくさんの人を殺したのか。」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。」

とあるように、張り付いた人間の性質は切り離せぬものとして扱い、排除しようとしたのです。
これが王とメロスたちの人間の心に対する扱いの違いとなっています。

つまりメロスたちは、人間には元来弱い性質があることを認めながら、互いにそれらを監視し、排除することで、信用を築き上げることができると考えた訳なのです。

それを王は友情と評し、自らの弱さを除く為、最初の一歩を踏み出すことができたのでした。



※蛇足になりますが、このフィロストラトスという人物も、最後に登場した怪しい存在です。
私はこのキャラクターはメロスを堕落させる為に登場した、ルシファーや悪魔のようなものではないかと思っています。

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